豊島事件と産廃問題
No.1 てしま
私が初めて豊島に行ったのは1995年12月、キャスターの筑紫さんや弁護士の中坊さんたちによるシンポジウムに参加するためでした。豊島へ向かうフェリ−に一人で座っていると朝日新聞の記者に取材されました。翌朝の新聞に載っていました(私の名前が新聞に載ったのはこれが最初、そして、最後になるかな?)。いっぱい話したのにあたりさわりのない部分だけ取り上げられていました。(^-^;)
そのとき現場にも初めていきましたが、第一印象は「どこが産廃不法投棄現場かわからない」というものです。兵庫県警の摘発を受けてから現場は表面に土がかぶせられ、草も生えているのでどこから不法投棄現場なのか区別がつきませんでした。
原発のサイトのような特殊な場所をイメージしていました。四国にある唯一の原子力発電所は当然、僻地にあります。今は道路も整備されていますが、建設当時はつづら折りの狭い峠を登っていくと急に目の前の美しい瀬戸内海と原発の風景が広がって違和感を覚えました。あんなイメージを描いていましたので、土のグランドには驚いてしまいました。
現場はこんな感じで境界線がわかりませんでした・・
その活動を振り返って思うのは島の人たちはどう思っているのかなってことです。原発問題でも地元の反対派の人たちは村八分です。無知だった大学時代、「村落社会学」のレポートのために取材にいったことがあります。反対派の元町長の方のおうちを訪ねていろいろ伺いましたが何一つわかっていませんでした(でも、レポートは優だった。ただの感想文だったのに(^-^;))。
生活がかかっている自分たちと、遠くからやってくる「町の反対派」の人たちの間には違和感があったでしょう。島の人たちも同様に感じているんだろうなって思います。島は閉鎖的なところだし、貧しいところだし、「暇な奥さん連中が騒いでいる」くらいに感じているんじゃないかなって思います。
確かにボランティアですので限界はありますし、片手間にしかやれませんが、想いは同じです。後世代の人たちに豊かな自然を残していきたいと思っています。