豊島事件と産廃問題

 No18  豊島へ行こう 秋の集会 2002・11・24

 1996年の第1回秋の集会以来、今年で7回目です。その前年の1995年の11月末か、12月始めに豊島でシンポジウムがありました。中坊公平弁護士や筑紫哲也キャスター、植田和弘京大教授などがパネラーとして参加されていました。オリーブコープという生協で参加者を募っていて、それに応募して豊島に行ったのが初めてでした。豊島に関わるようになって丸々7年たったことになります。

 当時現場は、草がぼうぼうで、グラウンドのように見えました。ところが2000年6月に公害調停が合意され、豊島産廃は隣の直島に運び出して、処理されることになりました。でも前処理が必要とかで現在は鉄骨の大きな建屋が2棟建設中です。現場は一面ゴアテックスのビニールシートで覆われています。

この写真の右に見えるのが現場全面を覆っているゴアテックスのシートです。黒い水が流れ出ていると大騒ぎをしていた北海岸は鋼矢板が地中深く埋められ、現在は随分海がきれいになっています。藻場も回復したそうです。沖には漁をしている船が何隻もいました。

これが北海岸です。紅葉がきれい。波のうち寄せる音が聞こえました。

現場は刻々と変化しています。来春からのランニング運転を経て、夏からは本格的な産廃の処理作業が始まります。

なかなかこのようなイベントを開催し続けるのも大変です。だんだん参加者が少なくなります。豊島問題は解決済みいうことで、興味がうすれてきているのでしょう。

でも、わくわくするようなプロジェクトも始まりつつあります。

これはバスの軽油を抜き取ってBDF100%に入れ替えているところです。軽油には軽油引取税という県税が1gあたり32円程度課税されます。バイオディーゼルは課税対象となりませんが、京都市営バスなどではバイオディーゼルを20%混ぜて使っています。このように混合する場合は課税対象となるそうです。

バイオディーゼルにこんな高額のエネルギー税を課税されては競争できません。BDF100%だと課税されないのですから、この写真の中古バスさんには大いに頑張ってもらいたい。先日の小豆島の走行運転でも、今日の運転でも無事走りました(^。^)。

 午後は一転して、楽しく「おすそわけ市」と「食の文化祭」。食材はすべて豊島のものをということで、野菜や餅米、なべの材料となってくれたチキンさん。人間は他の生命を犠牲にして生き延びているわけですが、そのような場面を見ることはなくなってしまいました。チキンはスーパーで売っているもの。野菜もきれいな形のもの、虫のいないものが店頭で売られている。

 本当は農業とか漁業とか林業とかを再生可能にする方がずっと大事なのに、これらの一次産業は崩壊してしまっています。田舎者としては心が痛みます。

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