豊島事件と産廃問題

 

No.11  菜の花の種まき&菜の花バスプロジェクト  2002/10/1

<9月28日 菜の花の種まき>

昔の人は偉い!! と思いました。 つい、半世紀前までは日本人の過半数は農業をしていたはずです。それも今よりずっと機械化されていない農作業を、狭い棚田や山間を切り開いた農地で腰をかがめてもくもくとやっていたと思います。子供の頃はよく腰が90度くらい曲がったお年寄りを見かけました。あれは厳しい農作業を何年も何十年も続けた結果だったのでしょう。今更ですが尊敬です。m(_ _)m

 9月28日の土曜日に菜の花の種まきをしました!!3人で10アール弱のたんぼ(去年とその前は休耕田だったそうです)に10うねくらい整地してもらったところに、みぞのようなものを掘って、細かい種をまきこみました。

  場所は瀬戸内海が見渡せる(真向かいが「24の瞳」で有名な小豆島の分教場のあたりです)ちょっと小高い場所ですから、休憩中に眺めた海はきらきら光ってきれいでした。

<向こうに見える煙っている山が小豆島です>

<バイクのおじちゃんが耕耘機で整地してくれました。このふたりは翌日には豊島の田んぼに出かけた元気者です>

  あとで知りましたが、菜の花油をとるための菜の花の品種は心臓障害の原因となるエルシン酸を含まない品種、家畜の甲状腺肥大をおこすグルコシノレートの低いものという制限があるそうです。搾油の手法もいろいろあるそうで、何も知らないで始めてしまった・・・って気もなきにしもあらずですが、とりあえず始めまてみました・・。

  種まきはミレーの絵のように簡単ではありません。中腰での作業。細かい作業です。腰が痛いこと、痛いこと!そのうえ、狭いみぞを足を踏ん張って歩くので翌日はふくらはぎの裏側が筋肉痛でした。私は1日の作業でダウンして翌日はマッサージにいきましたが、残り2人はその翌日(29日)に豊島の棚田の作業(レンゲの種を植え込む作業だそうです)に参加していました。タフさの固まりには畏敬の念を表したいです。

< 9月30日 菜の花バスバスプロジェクト第2回検討会 in豊島>

 なにが大変ってプロジェクトを立ち上げることでしょう。もらった資料だけで数センチありました。これらを立案して、ペーパーを作るだけでも専任でやらないとこなせないくらいの作業量なのに、県議の方を中心にほぼボランティアでやっています。「大変〜」というボキャ貧語彙録では表現しきれません。

 たくさんの問題点があります。

@菜の花をどうやって育てるか。土地と人と作業の問題(収益性が悪いので大規模に行う必要あり)。そのままBDFにすると採算がとれないのでまず食用油にするが、その搾油・販路等の問題。 その後廃油を回収してBDFにするが、有効な回収方法がみつからない(昨今、天ぷらやコロッケは不人気で油は使いきる人が多い。自治体ルートは結束が薄くなっているので、レストラン・ホテル等からの回収ルートを模索した方がいいのでは?)

A路線バスを走らせるには予備を含めて2台のバスが必要。路線バスだけでは当然収益ベースに乗らない。福祉バスやスクールバスとしての併用を考える必要があるが、現在福祉バス、スクールバスは無料なので有料にすると後退してしまう。有料の一般客と無料客とを同時に運ぶことに法的問題はないか?

B運送収入で経営が成り立つためには島外からの産廃見学客を取り込む必要があるが、乗合バスと貸切バスを併合して運用できるか、という問題。

Cフェリーの時間に合わせてバス時刻を組むと不都合が出てくる(フェリーは小豆島方面と岡山方面の二方向がある)。フェリーの時間をかえると岸壁使用の問題や現在つかっている人たちが仕事や学校に間に合うかという問題が生じる。

頭痛がしそうな問題が山積みですが、検討会自体は楽しいです。私たちのような力のない市民グループの出席は場違いな感がなきにしもあらずですが(自腹を切って参加しているのは私たちだけです)、県や町の職員の方々、小豆島バスや小豆島フェリーの社長さん、地元自治会の人たち、ボランティアの若いモンと雑多な人たちがそれぞれの立場から一つの問題に取り組むみ、その輪を広げていくのはワクワクするような楽しさがあります。

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