豊島事件と産廃問題

No.30 カナダ・ノバスコシア州便り 〜焼却に頼らないでゴミ50%減量〜 2003・9・10

  カナダの東の端、ノバスコシア州ハリファックスという街に廃棄物資源化政策現地視察にいってきました。日本から13000キロ離れています。「はるばる」という言葉がぴったりです。 日本との時差は12時間。昼と夜がまったく反対です。

  
<ハリファックス市の真ん中にあるPublic Park ちょうど2組の結婚式があったみたい>

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  なぜ、こんな(日本の位置から見て)地の果てのような州にやってきたかというと、このノバスコシア州は焼却に頼らないゴミの減量化に成功した州ということで有名だからです。 「Too Good To Waste」ということで「A World Leader in Recycling」の実地見学に大挙して押し寄せたというわけです。

 (ゴミ弁連などの)弁護士さん6人、大学の先生数人、地方議会の議員さん3人、NPOの元気なおじちゃん、おばちゃん(ワタシはこの範疇かな?)、若い学生さんも交じっています。「この特異な集団の研究をする方が面白そう」というヘンな団体で4日間にわたって処分場、リサイクル施設の見学やプレゼンテーションなどを行います。

 9月2日は初日ということで午前中はフリー。午後は州政府オフィスでのオリエンテーション、夕方は歓迎レセプションが開催されました。

 アメリカの州政府だと権限も大きいのでしょうが、ノバスコシア州は人口94万人の小さな州です。日本の地方自治体(県レベル)の政策を実施する法的根拠となる州法と第三者機関によるシステム作りが成功したってところでしょうか。

 カナダは国土が広いので廃棄物は埋めていた。かつては、最終処分場はいっぱいあったそうです。ところが90年代に最終処分場建設反対運動が起こった。「処分場を建設できなくなった」という必要性に迫られてゴミの減量化に取り組んだというのが始まりだそうです。年間一人当たりのゴミの量は1989年の760キロから2000年には380キロに減りました。

 どのようにして減らしたかというと、、、  要は州法を作ってRRFB(Resource Recovery Fund Board 11人のメンバーで構成、メンバーは州環境大臣によって選ばれる)というNGOを作り、減量化に取り組んだ。行政主導ではない第三者機関に任せ、その費用は容器類とタイヤのデポジット制度によってまかなったということです。

 新しいシステムがあるわけではなく、可能な方法を組み合わせた。そして、実行した→「ローテクの世界の成功」というだけのことです。

 デポジットは日本でも八丈島などで実施されているそうですが、ノバスコシア州のデポジットは大規模です。子供がジュースのビンを返しにいって、10円を返してくれるというレベルではありません。  Deposit/Refund Programは、飲料類を売ったときにまず、10セント分を上乗せしたお金をもらいます。回収拠点であるEnviro-Deposit(州全体で84ヶ所)に持っていくと5セント分を返してもらえます。回収率は82%です。

 この差額(ROCAPS2000)を使ってシステムを回しています。補助金を当てにする政策ではありません。約900万ドルのうち、500万ドルは各自治体に、230万ドルは教育普及プログラムに、残りをvalue-added businessに投資するといった使い方をしています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 4日間の視察旅行では、施設の見学等を行いました。日本でいうところの一般廃棄物の処理方法についてのシステムの視察です(ただし、スーパーのゴミなども含まれています)。産廃についての処理システムはわかりませんが、日本の家電リサイクル法のような企業が処理費用を負担する仕組みはないそうです。

 
   <スーパーで説明をしてくれた現場責任者と通訳の池田さん>

 
<スーパーから出される段ボール類を圧縮する機械 3人がかりで実演してくれた>

  キーワードは「デポジット」「コンポスト」「リサイクル商品」でしょうか。 この仕組みを回しているコアになっている組織が「RRFB」です。行政が中心になあっているわけではありません。その後押しをしている考え方は「徹底した市民参加」と「スチュワードシップ制」(企業の社会的責任)です。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  具体的な処理方法です。家庭からのゴミは3種類(正確には4種類)に分けます。生ゴミ収集用のグリーンのcompostainer(コンポスト用の生ゴミをいれる容器)、紙・アルミ・スチール・ガラスを収集するためのブルーバック(透明の紙用パックもあります)、そして資源化できず、最終処分場へ行く黒い袋です。

 家庭から出される段階での分別はこの程度ですから、細かく分別されているわけではありません。 ただし、デポジット対象になっている容器類やタイヤがあるので、これらはEnviro-Depotと呼ばれる回収拠点に持ち込まれます。

 州内に84カ所あるEnviro-Depotのひとつを見学に行ったとき、ちょうど近所の奥さんが両手いっぱいの容器類を持ち込んでいました。「10ドル分ある」と自己申告すると、そのデポジット金額をその場で返却してもらえます。 このような容器類のデポジットシステムがあるのでブルーバッグに入る容器類は6〜10%程度だそうです。

  
<タイヤのリサイクル工場 リサイクルチップはサッカー場、野球場の芝生の下に使われる>

 これらのブルーバッグは収集車で処分施設に運ばれます。これは日本と同じようなシステム。収集車から投げ出されたゴミの山をベルトコンベヤー式に手で分別していきます。ここはローテクの世界です。

 
   <紙・容器類(ブルーバッグ)が分別処理施設に運ばれたところ>

 分別された紙・アルミ・スチール・ビン・ペットボトル類はそれぞれ再資源化施設に運ばれます。紙やビニールなどは中国に運ばれる分が多いそうです。

 
            <再生された紙ロールの山>

  ゴミの量の半分は生ゴミだそうです。この生ゴミを分けて収集、これをコンポスト処理するというのが、ここの制度の目玉です。コンポストには興味がなかったので、家庭用の小さなコンポストしか知りませんでしたが、ここのコンポストは大きな工場です(システムは荏原製作所のだそうです)。 3ヶ所の堆肥化施設を見学しましたが、コンポストで嫌われる臭い(日本の学校でコンポストをやろうとすると近所から臭いがいやがられるそうです)を消すためのバイオフィルターもかなり大がかりです。そして、これらを堆肥化していきます。

 
   <コンポスト工場外のバイオフィルター施設 臭いを消す装置>

 ガーデニングなど、用途は広いそう。ただし、農業にはあまり使っていないそうです。

  黒い袋(資源化できないゴミ)だけが処分場に運ばれます。ただし、黒袋を埋立処理する前にもう一度あけてコンポストできるものはコンポストに回す、もう捨てるしかないものだけを最終処分場に運びます。

  日本ではまず、焼却します。国土の広いカナダでは、もともと焼却という習慣がなかったそうです。ところが、臭いがきつい等で近所から嫌われる。住民の反対で新たな処分場を作ることができない、ということで焼却に頼らず、かつ、最終処分量を減らす「ノバスコシア方式」が始まりました。 わたしたちが訪ねた最終処分場は日本でいうところの管理型処分場です。25年契約で300万トン(1年に12万トン、現在までに5年経過)処理できます。閉鎖後も25年間管理する責任をもつ契約内容となっています。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  新しいのはRRFBというコアになる第三者機関(not-for-profit organization)を中心に企業も、市民も、行政も参加したシステムになっていることだけです。ローテクの世界だと聞いていましたが、確かにその通りです。日本でよくきかれるガス化溶融炉によって何でも燃やしてしまう制度と対極の制度です。 ですから新たな雇用を創設することもできる。

 ただ、労働環境は悪いです。処理施設の臭い、紙リサイクルやタイヤリサイクル工場の騒音、ガマンできる程度をはるかに越しています。 典型的な3Kです。これらの施設で働く人たちがいるので「雇用の場」を創設していますが、このような拙悪な施設で働きたい日本人はいるのかな、というギモンもわきました。日本ではどのように応用していったらいいのか、これから考えていきたいと思っています。

 
<視察最終日のフェアウエルの会場で。20年ぶりに英語を話したようなかんじ>

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
  4日間にわたる視察とプレゼン・シンポジウムが終わって最終日はPeggy Cove とLunenbergの観光でした。

 
<ペギー岬 この先に広がるのは北大西洋 いつ来てももやっているそうな>

 Peggy Coveは大西洋の荒波に面した60人ばかりの集落。観光バスや自家用車がいっぱい駐車してあるので、けっこう観光地になっているようです。Peggyというドイツ人の女の子が船から遭難して、ひとりだけこの地にたどり着いた。発見されるまで18年間ひとりで過ごした入り江というのが名前の由来だそうです。かもめやいたちもいました。荒涼とした風景です。

 その後、5年前のスイスエア航空機事故で遭難した人たちの慰霊碑を訪れました。5年前1998年9月2日の事故は覚えていますが、その場所がノバスコシアだなんて全然知りませんでした。こうして事故地を訪ねるなんて不思議な気がします。 ハリファックス市内にPublic Parkという大きな公園があります。タイタニック号の小さな模型が浮かべてありました。「どうして?」と聞くと事故の時、ハリファックスから救助船を出して、遺体の収容をしたそうです。遭難者のお墓もあるそうです。

 
<1998年9月2日のスイス航空機事故で200名以上が亡くなった。5年前はノバスコシア州なんて知らなかった。不思議な気分>

  最後に行ったのが、Lunenbergという世界遺産漁港の街。漁港というより避暑地です。観光ツアーボートや帆船がいくつも出ているし、通りはおみやげやさんでいっぱい。この街はルナバーグともルネンブルグとも発音するそうな。ドイツ移民が築いた街だそうです。 午前中、ペギー岬を訪れたときは、曇り空。あたりは靄でかすんでいました。午後、ルナバーグに行ったときは、夏にもどったようないい天気でした。

 
<ルナバーグの丘にある小学校。日本の学校と違って絵に描いたようにきれい>

 
  <ルナバーグの街を対岸から見たところ。この写真よりずっときれい!>

 
<最終日に留学生が案内してくれたダルハウス大学。「赤毛のアン」の作者の母校でもあるそうな>

 
<その後、水陸両用のハーバーホッパ−に乗って観光。ガイドの女子大生の英語がわからなくって困った^^;> 

 

<< 前へ ====次へ>>

「豊島事件と産廃問題」の目次へ戻る