豊島事件と産廃問題

No.32 人間まんだら模様 2003・11・3

 11月3日に「豊島へ行こう秋の集会」を開催しました。朝の「歩け歩け大会」から晩の「出会いコンサート」まで盛りだくさんの内容でした。豊島への関心が薄れていることや、イベント発表が遅くなったこともあって(豊島関連のイベントはいつもギリギリ泥縄状態でやっています^^;)、参加者は少なかったけど、けっこう楽しい一日でした。

 11月3日は特異日で晴れの確率が高いそうですが、あいにくの雨。鬼ヶ島や瀬戸内海の綺麗な風景を眺めながらの約6キロの「歩け歩け大会」は中止になって体育館でのゲーム大会になりました。豊島の子供はほぼ全員集まったのかもしれない。島外からの参加者も含めて約100人が参加しました。

 
    <おばちゃんたち手作りのおにぎりと豚汁を食べているところです>

 ゲームをするなんて半世紀ぶり?・・・は、大げさですがいつこんな無邪気なゲームをしたのか忘れてしまうくらい久しぶりです。子供会活動で手慣れているらしいおいちゃんの指導のもとでの老若男女いりみだれてのゲームの数々でした。

 午後の産廃現場見学までの時間は「雨漏りするバス」(ホントに雨漏りするのです。座席一つ分は誰も座れませんでした)に乗って、島内一周観光ガイド(ドライバーの兼任仕事)付きツアーです。このIターンかUターンかで島に帰ってきたTおじさん(お兄さん?)はプロパーの豊島住民とは毛色の違った人で、1250人程度しかいない豊島住民の人間まんだら模様を話してくれました。

 

     
 <熱心に説明してくれる住民会議のおいちゃん>            <雨の中、出動を待つ運搬用トラックの車列>

 現場は例によって住民会議のメンバーが説明をしてくれました。これほど何度も報道されているのに、場違いな質問ばかりするおっちゃんがいましたが、それらにも丁寧に答えていました。

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 豊島の外から豊島をみていると狭い世界だし、お年寄りが多いので保守的なのは仕方ないだろうな、と推測できます。それでも豊島産廃の撤去を求めて運動をしている間は目標が明確だし、中坊弁護士という(いまは住専問題で名前を出すのも禁句ですね。人間引き際はほんとに難しいと思いました)強力なリーダーのもと、住民会議議長さんもリーダーシップのある方だし(合意成立後1年もたたないうちに亡くなられました)、大同小異というか、それなりに団結していたようですが、とりあえず島外撤去を勝ち取ると、後はどう島の再生を進めていくのか意見が一致しないで、足の引っ張り合いをしているようです。

 産廃最終処分場の反対運動とか、原発立地反対運動などに共通していますが「××をさせないための運動」は容易に盛り上がります。でも、それに代わる新たな政策、新たなシステムを築いていくことは効果がすぐに表れないし、金銭的な負担もあってどこでもなかなか進んでいません。

 豊島のような小さな島はデンマークのサムソ島とか、屋久島のような水素社会、再生可能エネルギー自立の島をめざすことが可能です。そのための試みも徐々に始まっていますが、いかんせん人材不足と足の引っ張り合いで試行錯誤、どっちかといえば後退状態に陥っているようです。

 ここは新たなチャレンジのできる若い人、島以外の社会を知っている人たちに頑張ってもらいたいところですが、戦前の家長制度、男性中心の田舎社会の名残があるのか、なかなか難しそう。それでも頑張ってほしい!

 豊島をエネルギーや農業自給の島に変えていくには強力なリーダーシップが必要です。そのような人材がいないわけではないのですから、狭い了見での「出る釘を引っこ抜く」ような足の引っ張り合いやめてポジティブに進んでもらいたい強く思いました(実行するのがタイヘンなのはよ〜くわかりますが)。

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 さて♪、夕方から菜の花バスプロジェクトで育てて搾油した菜種油を使った「てんぷら大会」をしました。島のおばちゃんたちといっしょにその準備をしました。数百個のおにぎりを握り、具だくさんのかき揚げの準備など、これだけの量の料理の準備をするのは久々でした。  下準備をしたあと、交流センターで天ぷらをあげて即たべてもらいましたが、なかなか天ぷらをあげるのが間に合わず、行列ができる「にわか天ぷら屋」になってしまいました。

 忙しい、忙しいといいつつ試食ばかりしていましたが、けっこう美味しい。朝釣ったばかりの焼き魚や手作りおつけものもあって満足満足の一日でした(ホントは夜にメインである日フィルコンサートマスターの方らの演奏会もありました。「小さな島のコンサートもオツなモノでした」と参加者からメールがきていました。

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