豊島事件と産廃問題
No.33 豊島事件の発端〜安岐正三さんの話〜 2004・2・2
この写真の人が安岐正三さんです。豊島関連のテレビニュースを見たことのある人は一度や二度は画面で姿をみかけたことがあるでしょう。不法投棄現場の沖でハマチの養殖をしていましたが、有害物が流れ出しているかもしれない海で養殖を続けると「被害者が加害者になってしまうかもしれない」と養殖の仕事を断念した人です。
私が1995年に初めて豊島にいって以来10年近くになります。その間、何度も安岐さんの話をききましたが、事件の発端についてこんなに詳しく聞いたのは初めてです。あまりに印象に残る話でしたので、書いておきたいと思います(あくまで安岐正三さんの話ですからご承知くださいませ)。
香川県と豊島住民との公害調停が成立して3年半。去年の9月から本格的な中間処理が始まって数ヶ月。これだけの時間とお金をかけ、日本の技術の粋を集めても爆発事故が起こってしまうという「どうしようもない産廃の山」の事件の発端は1975年のことです。
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この不法投棄事件を起こした張本人・松浦庄助は、いま、岡山県に住んでいます。この大規模は不法投棄事件を起こしたのは豊島総合観光開発株式会社です。一応、会社組織になっていました。奥さんが社長で松浦庄助は専務でした。
この事実は知っていましたが、なぜ、奥さんが専務になっていたのかは知りませんでした。松浦庄助が害産業廃棄物処分場の許可を求めたあと、地元では反対運動が起こりました。当時は2200人・1400戸ほどの人口だったそうですが、ほぼ全戸1425人の反対署名を集めて知事と県議会に提出しました。
松浦庄助は親の信一の代からの豊島住民だと聞いていましたが、もともとは広島県あたりから流れてきた人だそうで、砂利の採取や埋立を仕事としてきましたが、堀り尽くしたのでもうかりそうな産廃に手を出したそうです。これは松浦庄助が鑑別所で友人からの入れ知恵で知ったことだそうで、事件を起こした当時で前科11犯。乱暴者で豊島の人ほとんどがおそれていた人だそうです。
反対署名の提出に怒った松浦庄助が集落の隅っこの家々を訪ねて暴行・脅迫まがいのことをした。30ヘクタールもある土地をもっているので「一人殺しても、二人殺しても死体は見つからない」などと脅しをかけたそうです。
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当時の香川県知事は前川忠夫さんという前香川大学長のクリスチャンの革新知事でした。1977年2月15日に申請を許可する目的で豊島を訪れ「迷える子羊も救う必要がある。事業者は住民の反対にあい、生活に困っている。要件を整えて事業を行えば安全であり、問題はない。それでも反対するのであれば、住民のエゴであり、事業者いじめである。豊島の海は青く空気はきれいだが、住民の心は灰色だ」といいました。
これには伏線があって、松浦庄助の奥さんが知事室を訪れ「自分は子宮ガンで余命いくばくもない(現在も存命中ですが*_*)。子供はいじめにあって学校にいけない。親は仕事もできず、自分は心残りで死んでも死にきれない」と泣き崩れたそうです^^;。
あと担当課長のネクタイを引っ張って「なんで許可をしないのだ」と脅した話も聞いていましたが、そのフロアには他の職員もいっぱいいた。でもだれも助けなかった。
絵に描いたような暴力団の手法だったのですね。「下手に逆らうとこんな目に遭わせるゾ」と脅しをかけていた。小心者で保守的な行政マンにとっては確かに対応が難しい人物だったのでしょう。
その後も県庁への反対デモ、処分場建設差し止め請求訴訟を提起したりと住民は闘争を続けました。これにあせった松浦庄助は、豊島に帰るフェリーの中でビンコーラを叩き割って、原告のひとりを脅した。これを聞いた安岐正三さんは「立派な暴行罪だから警察に訴えろ」と助言して小豆島の警察にいった。小さな島の人のことだから警察に行くのも初めて。名前さえうまく答えられない緊張状態だったそうですが、警察に訴えた結果、松浦庄助は逮捕された。刑事犯で逮捕された人は会社の取締役になれない、だから、奥さんが社長になったというのが顛末だそうです。
このような傷害事件を起こしてしまったので、有害廃棄物の運搬処理業から無害物によるミミズ養殖に変更して許可が下りました。でも、 ミミズの養殖はすぐやめて産廃の受け入れを始めました。宇高連絡船の廃止で廃船になった船を改造して姫路港などから大規模に産廃を受け入れ、毎日野焼きを続けました。ミミズの養殖をしているとは思えないような現場の様子でしたし、香川県の職人も128回も現場を見ているのに怖くていえなかった。不法投棄だということがわかっていながら、何もしなかった(それどころか実際には法律の抜け穴をアドバイスしていたという)というのが後に県職員の供述調書(姫路署)で分かったことです。
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1990年11月16日、廃棄物処理法違反で強制捜査に着手したのは兵庫県警です。「瀬戸内海国立公園におけるミミズ養殖を仮装した数十万トンの産業廃棄物の不法処理」が兵庫県警の強制捜査容疑。このときの本部長が後にオウムにおそわれた国松警察庁長官でした。「彼だからできた」というのが安岐さんの言葉です。
兵庫県警の50人近い捜査官が宇野港に終結して始発の定期フェリーで豊島にむかった。 フランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」という映画がありましたが、当日の様子はあれと同じだったそうです。「ワーグナーの音楽はなかったけど・・」
安岐さんは現場沖でハマチの餌やりをしていたそうです。1機、2機・・・7機までヘリコプターの数を数えたとき、餌やりを急いで終わらせて家に帰ったそうです。
この強制捜査の日を迎えるまでに15年、強制捜査の時効寸前の1993年に公害調停の申請をしてから2000年の合意の日までに7年、そして2003年の中間処理開始から10年以上かかりそうな状況です。調停の合意書では平成28年度末までに原状回復させて住民に返すことになっています。
安岐さんの話を聞いていて、豊島事件の重みを改めて感じました。 「安岐さんから事件の発端の経緯を聞くのは初めてですよ」というと、「みんな死んでしまったもん」という答えが返ってきました。
2時間にも及ぶ話の後、ちょうど見学にきた茨城県の職員2人といっしょに現場を案内してもらいました。
<直島の事故で掘削現場も全てとまったままです。後にみえるのがとんがり山> <現場中央のドレイン。土の固まりにみえるけど産廃>
唯一こころなぐさめられるのは鋼矢板を打ち込んだ北海岸がきれいになったこと。
藻場が回復しました。でも、まだあさりは戻ってきていないそうです。
5月の大潮の日は涙が出そうなくらい素晴らしい景色がみえるそうです。