研究会・講演会備忘録−印象に残ったひとこと−

No.19 豊島・島の学校「豊島フォーラム」 〜中坊公平、筑紫哲也、秋山豊寛 鼎談〜 2003・8・3

 初めて豊島に行ったのは1995年の12月でした。「オリーブ・コープ」という生協のチラシを見て行くことを決心しました。環境税などという「息をするのに税金をかけるのか」と思ったような税金を北欧で導入しているのを知った頃で、環境問題に何となく興味を持ち始めた頃でした。

 12月のことで海が荒れて、結局オリーブ・コープのイベントは中止に。行きたい人は各自でいってください、とのことで定期船に乗って小豆島経由で行きました。

 小豆島から豊島に向かうフェリーの中で、朝日新聞の記者にインタビューされました。 「どうして豊島に興味をもったのか」「これまでの公害調停についてどう思うか」など聞かれたので、環境税も含めていっぱい話しましたが、翌日の新聞に載っていたのは平凡な意見部分だけでした(でも、新聞に自分の名前が載ったのはこのときだけ^。^ 嬉しくってコピーしました)

  このとき開催されたシンポジウムのパネラーは5人位いましたが、そのうちの2人が中坊公平弁護士と筑紫哲也キャスターでした。8年前のことです。

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 今回は「公害調停成立3周年記念 第一回島の学校」の一環として豊島フォーラムが開催されました。前半部分は「マスコミは何を伝えたか、そして未来」というテーマで豊島報道に関わった記者さんや住民代表によるパネルでした。

 そして、後半は「豊島、そして未来」ということで元宇宙飛行士・現在はお百姓さんの秋山豊間寛さん、中坊公平弁護士、筑紫哲也キャスターによる鼎談です。パネルも資料も何も使わない、3人の話だけでしたが、さすがに聞かせる内容です。

  前日、TBS系の秋山さんがキャスターをする番組(RSKテレビ)に出演して、中坊さんは「現場に神が宿る」、筑紫さんは「歴史に学ぶ」と座右の銘を書かれたそうです。奥の深い言葉ですが、これらは同じことを表しているそうです。

 筑紫さんのいう「歴史に学ぶ」の意味する内容は、「失敗に学ぶ」ということだそうです。

 中坊さんの言われる豊島事件の歴史に学ぶは。。。
@お金なくしてどうしようもない。これは資本主義の仕組みだから仕方がない。豊島では裁判をするお金がないので公害調停を申請した。
A真実はどれほどの力をもっている。歴史の批判にたえられるのは真実しかない。 ・・・ということだそうです。

  9月からは産廃の中間処理が始まります。でも、処理が終わるまでに、10年の歳月が必要です。

最終合意から3年がたちました。この間に122名の豊島申請人の方々、弁護団の弁護士2人、溶融炉建設で作業員がひとり、125名の方々が亡くなったそうです。豊島の人口は1279人(6月1日現在)、高齢化率は42%を超えているそうです。

 これから順調にいっても10年かかるのです。 「豊島は世界の最先端」「現場に建設された処理施設は豊島住民の勝利の一里塚」ということですが、これほど過疎と高齢化のすすんだ離島にとっては「学びの島」でありつづけることも、「エネルギー自給の島」になることも重い重い荷物です。

 でも島のお年寄りは人がよくって元気です。中坊弁護士のいわれたように「夢・希望をもって、上を向いて歩こう」が実践できたらいいな、って思いました。

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