エネルギー政策と京都議定書

No.16 エネルギー新世紀 2003・3・31

 日経新聞に「ゼミナール エネルギー新世紀」というコラム記事が2月17日から連載されています。新資源戦略研究会というところの執筆です。「戦争と石油」「有望分野 天然ガス高い発電効率、石炭安価で群抜く埋蔵量」「原子力 自給率の向上にも有効、欧米で再び重視の機運」とアメリカのエネルギー政策と重なるような意見も多いです。

 イラク戦争がついに始まりました。 「この戦争が終結しても中東の政情は不安定だから石油の中東依存は低めなければならない→価格でいうと天然ガスや石炭、国産エネルギーの観点からは原子力へシフト」これが基本的なスタンスのように思えます。経済産業省はこのような方針だと思います。エネルギー安全保障を重視するとどうしてもそうなってしまいます。

 エネルギー安全保障の観点からは、 化石燃料をキープしつつ、原子力を増設することでしょう。石油が涸渇するといいながらも、このまま石油を燃やし続けても半世紀くらいは持つでしょう。実際に枯渇するかどうかわかりませんが、原油価格が上昇すると石炭や天然ガスの依存度を増やせばいい。そして、C02を排出しない原子力も推進すべき。

  我々の世代だけを考えると技術的にも価格的にも競争が難しい再生可能エネルギーはあくまで補助的手段でということになります。 「私たちの世代はそれでいいんだけど・・・」とよく考えます。世代間の公平というのは抽象的な概念で法律の概念からは生まれるものではないそうです。100年後には人間の子孫が存在しているかどうか不確実。そのような「不確実なまだ見ぬ世代」のために無理して再生可能エネルギーにこだわる必要がないというのも一つの見識ではあります。

  でも、再生可能エネルギーがかつての右肩上がりの時代のような産業の推進力になってくれるのならば話は別だと思います。 「この不況の時代に何をカンキョー、カンキョーといってるんだ」という意見をよく聞きます。特に構造不況産業から聞こえてきそうです。

 でも、ひとつの産業が30年間栄えることはありません。かつての花形、繊維工業もその後の重化学工業も斜陽産業になっています。時代の流れもあるし、淘汰されるべき産業は淘汰されて仕方がないのでしょう(竹中大臣みたい^^;)

  高コスト構造となってしまった日本は環境やバイオなどの付加価値産業を育成しない限り、賃金の安いアジア諸国のなかで生き残っていけません。 産業の空洞化というのは予想以上に進んでいます。地方都市でもメインの工場は中国に移しています。そのあたりの小さな関与先ですら中国進出を考えていますし、かつて3Kといわれた仕事は中国や南米系の人たちを使っています(研修費の名目で日本人の1/3から1/4の賃金です)。

 一番手っ取り早い経費の削減は人件費を減らすことですから、高賃金体系を維持できる産業は多くはなくなるはずです。 いまはサービス業に従事する人の割合が50%以上ですが、サービス業だけでは国は成り立っていきません。

 私見ではありますが、重視すべき産業は農林漁業と(そして、やっぱり、何かを作り出す)製造業だと思います。農業も漁業も林業も絶滅寸前ですが、日本の産業に競争力がなくなって輸入食料品が入ってこなくなると、みんな、餓死寸前(ちょっとオーバー)になってしまいます。 製造業といっても、道路を作り続ける、安普請の建物を作って、壊して、また作る。ペットボトルをいっぱい作って回収にいっぱいお金をかける、というようなスクラップ&ビルドでは食いつないでいけなくなるでしょう。

  かつては重厚長大型の産業が日本の成長を引っ張っていった。その取引介在業として、商社や銀行も栄えたのでしょうが、いまやネットワーク、キャッシュレスの時代。発想の転換が必要になってきていると思います。

 私は特にバイオマスと燃料電池にこだわりたいと思っています。バイオマスは山林の荒廃や林業の衰退をとどめることができる。世界一の水準にある燃料電池はエネルギーの姿を変える可能性を秘めているからです。 当然、過大な期待は禁物ですが、行財政制度を含めた規制緩和がこれらの流れを押し進める方向に行くべきだと思っています。いまは法規制をクリアするだけでも大変。競争力をもつ段階どころか、1億円の燃料電池車をいかにコストダウンさせるか・・大変です・・・。

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