電力自由化政策

No.17 電力不足問題ひとまず脱出 〜原発の責任体制〜 2003・7・11

1995/12/8 動燃の高速増殖炉もんじゅナトリウム漏れ事故
1996/8/4 新潟県巻町の原発立地をめぐる住民投票で反対票が過半数をしめる
1999/9/30 JCO東海事業所で日本初の臨界事故
2002/8/17 東電の原発トラブル隠し調査公表

 と、原子力冬の時代を象徴するような事件が続いています。JCOの臨界事故もショッキングな事件でしたが、「29件の点検記録改ざん疑惑のうち16件についてひび割れを報告しないなどの不適正な点があった」というトラブル隠し事件もショッキングな事件でした。これが東電管内の全原発の停止→首都圏の電力不足問題へとつながりました。

 もともとは外資系メーカーの社員からの内部告発で発覚。その告発を受けた経済産業省は2年もほおっておいたこと、トラブル隠しが組織ぐるみであったこと、原子力安全保安院の検査をパスするための隠蔽であった、と消費者のことはカヤの外、役所向けのいかにも日本的な隠蔽事件でした。

 昨日、福島県の佐藤栄佐久知事が運転容認発言をして、ひとまず危機的な状況を脱したわけですが、根本的な問題は何一つ解決していません。

 かつてエネルギーの安全保障というのは政情不安な中東危機から石油の供給がとぎれることを意味していましたが、今回は国産エネルギーと見なされている原子力が停止したことによる電力危機でした。

 原子力はベースロード電源なので安定供給に寄与する。CO2排出抑制効果も大きいと国も業界も原子力を推進してきました。今回のような危機になると、東電の勝俣社長も経済産業省の平沼大臣も原発立地県の知事詣でを行いました。いったいどちらが責任をもっているのでしょうか。

 万が一、原発事故が起こった場合、電力会社は無限責任を負うそうです。大事故だと倒産です。そこまでひどい状態にならなくても、ほぼ電力供給の3割を占める原子力が何らかの原因で一斉に停止して安定供給ができなくなった場合、電力会社に責任があるのでしょうか。

 日本の原子力は「国策民営」によってすすめられてきました。エネルギー政策に関し行政側は「資源の乏しい日本では原子力なしに安定供給はできない」と必ずいいます。それはそれで間違いではない。莫大なお金がかかる放射性廃棄物処理費用も管理上のリスクも含めて、それでも原発推進が必要というなら最後まで国の責任で行うべきでしょう。

 どう考えてみても電力自由化と原子力推進とは両立できません。今後は原子力は国営にでもしない限り、電力完全自由化後の新規立地は無理だと思います。が、責任をとらない体質の役人にはできない仕事だろうなとも思います。

 「頑張れ、国会議員、もっと、エネルギー政策を国会で真剣に議論しろ」というのは過激な発言でしょうか?

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