電力自由化政策

No.23 原子力はパンドラの箱(1)〜峠をこえるとそこは別世界〜 2004・5・21

 ローカルな話題ですが、四国にある原子力発電所は一ヶ所だけです。愛媛県伊方町に ある伊方電子力発電所です。現在、1号炉から3号炉まで3基の原子力発電所が稼働 しています。

  四半世紀以上昔、わたしが中学生の頃に伊方町(わたしの出身地のすぐ近くの町で す)に原発が建設されることが決まりました。原発建設に適切なサイトを数カ所調査 して、そして、その頃のワンマン社長の出身地が愛媛県宇和島市だったので、そのこ とも考慮して(地元利益誘導かな?)伊方原発に決まったような記憶があります。

 瀬戸内の典型的な田舎に降ってわいたような話で、農協のみかんの集積所の壁に大き くペンキで「原発反対」って書いてあったような記憶があります。そして、地元の中 学校では原発建設に反対して1日か数日間か、休校になった。「なんか騒がしい」と は思いましたが、普段の生活に何の影響もなく、田舎の中学生には無縁の話題でした。

  原発立地が決まってから地元の伊方町(原発関係の補助金)や地元漁協(漁業補償) や地権者(サイトの土地の買い上げ)にお金がいっぱい流れていたのでしょうが、全 然関係ない世界でした。

 地元以外からも反対派の人たちもしょっちゅうやってきて「原発反〜対」なんてシ ュプレヒコールをあげていたのでしょうが、もっともっと遠い世界の出来事でした。 なにしろ何の関心もない田舎者でした。お上に逆らうことのない典型的な庶民である 親も「決まったものは反対しても仕方がない」みたいなことを言ってました。

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  それから数年して、わたしが大学生の頃に実際の工事が始まったのだと思います(あ いかわらず、ほとんど関心がなかった^^;)。

 3年生くらいに「村落社会学」という演 習でレポートを書く必要があってテーマに困った時、ふと伊方町のことを思い出しま した。 あんなド田舎に原発という賛否両論がうずまく危険物をお金とともに建設した。それ に伴って人間関係はどうなったのだろう、と疑問に思ったからです。

  ・・・ということで反対派の元町長さんの家にインタビューにいきました。インタビ ューといっても何を聞いたのかも覚えていないし、聞くべき内容ももたないままいっ たので、ろくでもない大学生でしたが、ただ一つ印象に残っているのは「反対派の人 は地元では村八分なんだ」ってことでした。

 江戸時代の村八分とは違うけど、それま でのほのぼのとした人間関係を壊してしまったのは確かです。元町長さんの家に入る のにさえ近所の人に白い目で見られているような感覚がありました。レポートには 「このような田舎に原発を建設することによる功罪、少なくとも人間関係においては 罪の方が大きい」みたいなことを書きました。

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 そして、その後伊方原子力発電所が完成して稼働を始めました。もともと人が住んで いないような場所ですから、道路などありません。「岬十三里」と呼ばれるくねくね した悪路があっただけでしたが、リッパな道路が建設されました。

 峠までのぼってい ってそこから原発の全景がみえるのですが、初めてみたときは本当にびっくりしまし た。初めて瀬戸内海・豊島の不法投棄現場にいったときの数十倍の衝撃でした。 瀬戸内海のきらきらしたブルーと狭い半島の山々のグリーンのなか、そこだけ別世界 の建屋や発電所が横たわっていたのです。

http://www.fepc.or.jp/shikihou/shikihou25/p11.html

 「原子力反対」と反対ばかりするのは好きではありませんが、峠を越えるとそこに別 世界があったときの衝撃はおおきく、いまは原子力はパンドラの箱だったのだと思っ ています。パンドラの箱は閉めなければ。 厄災を消し去って、希望が見いだせるような方法を探さないと・・・。それは代替エ ネルギーをどうするか、の問題だけでしょう。

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