電力自由化政策
No.28 原子力はパンドラの箱(6) 〜原子力は次のエネルギーへのつなぎ〜2004・7・3
核燃料サイクル費用は地中に埋める直接処分に比べて2倍近く高い
(コスト試算では 直接処分だと1キロワット時あたり1.23円、国内施設での再処理2.30円、海外委託の再 処理1.59円です)。
という試算が10年前の1994年にされていたのに、この試算の存在を経済産業省は否定し ていたのですね。
原子力村の確信犯は誰?通産省の役人?それとも電力会社の役員?
今朝の新聞に報じられていましたが、「原子力を推進するか否か」という議論のまえに、 「不利な情報は出さない」という体質が問われているのに、「保険問題しかり、原発 問題しかり」です。 議論があるテーマに関する隠匿体質は、いつまでたっても変わらないのでしょうか。 http://www.asahi.com/science/update/0703/001.html
「不利な情報を出すと反対運動ばかり起こって議論が進まない」というのが言い訳で しょうが、それは国民をバカにしていることの裏返しですよね。
不利な情報を隠していたトコロは官庁・民間を問わず、使途秘匿金課税(支払先を明 らかにしない支出には40%の法人税が別途、課されますぞ)や重加算税(35%の税率
ですぞ)に相当するくらいの罰金を課すことにしたらどうでしょう?いっぺんに体質 が変わると思いますが???
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さて、原発関係の公開討論会を開くと、反対派から感情的な反対意見が出ることが多 いと思います。実際、去年あるフォーラムでフロアから一国会議員に向かって「とに
かく、浜松原発をいますぐ止めてください」との発言を繰り返す市民団体の人がいらして驚いた記憶があります。
フロアからの一傍聴者の立場で聞いていても奇異に感じたのですから、当事者同士の 感情的な不信感は「話せばわかる。板垣退助〜」には決してならないでしょう。
行政が主催するのではなく、民間主催(=どちらかといえば、反対意見が強い)討論 会やフォーラムに、さも権力側(=推進派)の代理人であるかの如く立場で出席した電 力会社幹部や経済産業省の官僚もかわいそうなものです。罵声を一身にあびての「不当 な批判(?)」に怒り心頭になることも理解できます。
でも、そのような推進派とみなされる官僚や電力会社側の人たちも「もはや、原子力 発電所をこれ以上増やすのは至難の技」と感じてきているはずです。
原子力発電所の設置費用は火力発電所の倍以上する。住民の理解を得るのが困難。
そのうえ、電源三法やバックエンド費用などかくれた出費がいっぱいあるのですから。
そして、国民の大部分はエネルギー問題には無関心です。バイオマスだとか太陽光だ とかいうと具体的な形がみえますが、「エネルギー」という言葉に置き換えられると とたんに抽象的になってしまうようです。 かくして、庶民のあずかり知らぬところで『エネルギー需給見通し』という名前のエ ネルギー政策が決まっています(一応、反対派の人も委員になって意見は述べていま すが、それだけですね)。
ある調査(2001年)によると「原発推進すべき」という人は25%で、過去最低になった そうです。どうひいき目にみても大部分の人たちは「原発はあるんだから仕方がない」 と思っている程度で国民の合意が形成されているエネルギー政策ではなさそうです。
もうそろそろ、『原発は基幹エネルギーではなく、次のエネルギーができるまでの つなぎ』という立場に変えてもらいたいものです。
経済産業省あたりの戦後すぐの(頭の中での)計画では次の基幹エネルギーは核融合 だったのかもしれない。「鉄腕アトム」が連載されていた頃の原子力は(皮肉ではなく) 夢のエネルギーだったのでしょうね。
現実的には再生可能エネルギーとか燃料電池とかを利用した水素経済が代替エネルギ ーになるのでしょう。でも水素経済にすぐに転換へできるとは思えない。
なら、10年でも20年でもかけてゆっくりと着実に次のエネルギーに転換するた めの政策をとっていけばいいんじゃないでしょうか?
いつまでも「原子力推進=国策」に固執して いては将来の展望が開けないような気がします。